郡上市の美並町に藤原高光の瓢ヶ岳(ふくべがたけ)の鬼退治という鬼にまつわる伝説がありますが。
(鬼の首は和良町念興寺に祀られています)
郡上市の明宝の気良(けら)地域には天狗伝説が残っています。
DSC_0748
明宝地区の史跡で有名なのは宇治川合戦の梶原景季が源頼朝より授かった名馬磨墨で佐々木高綱と先陣争いをしその名馬磨墨の生誕地が気良の里とされています。
磨墨は郡上踊り『春駒』の歌詞にもなっており『あのするすみの、めいばだしたの、けらのさと~』と昔から郡上踊りでもしたしまれている地名です。また明宝産の馬としては『八幡の安養寺より本願寺顕如上人に送った』『八幡城主遠藤慶隆が乗った』などの伝承もあるようです。
郡上八幡からは小駄良(こだら)方面より明宝方面へ抜ける旧古道に寒水(かのみず)地区があり、また山隔てに気良地区とも通じます、また寒水筋は大和、白鳥へ通じ、気良筋は烏帽子岳を隔て高鷲、荘川方面につながります、烏帽子岳東方にはめいほうスキー場があります。
各街道上流にあるのが烏帽子岳で古くは大和、白鳥方面まで小駄良と言われていたようで。白鳥町には向小駄良という地区もあります。この小駄良道は昔交通の要所で北進すれば鎌倉方面へと結ばれる為、鎌倉街道とも呼ばれていたようです。
DSC_0746
『磨墨生誕地の石碑 明宝気良』
気良地区は郡上の広い地域に支流を作る烏帽子岳の南方面になります、現在気良という地名は明宝の一部地域ですが、古くは美濃国守護として美濃を支配した土岐氏一族の頃、現在の明宝(旧明方)から和良町、飛騨の金山町、馬瀬、清美の一部を含めた広大な地域を気良庄と呼び広大な荘園になっていたようです。
又、気良庄は後に下総千葉一族の東氏や土岐氏幕下の遠藤氏(和良遠藤氏)等が自領として支配していました、話がそれましたが気良には磨墨だけでなく、代々家長が守り続け約790年も燃え続けているいろり火『千葉家のいろり火』や織田信長と戦った本願寺顕如の子、教如が落ち延び隠れたとされる『教如屋敷跡』等の様々な史跡のある歴史深い場所です。
DSC_0744
この気良地区には光明寺(浄土真宗)という古くからのお寺がありますが、そのお寺には『天狗の頭蓋骨』が寺宝としてありました。明光寺はもと天台宗長滝寺の末寺で巣河(気良地区より更に奥の烏帽子岳に近い場所)と言う場所にあり源平合戦で敗れた平家の落人が天台宗の廃寺を再興し巣河から住民と共に気良に移ったとの寺伝があるようです。
DSC_0742
『天王山光明寺 明宝気良』
現在光明寺は気良地区の下流域にありますが古くは気良川上流域、巣河域区にあり祠も残っているようです、天狗が首を吊って亡くなった伝承の切株やお墓もあったとされています。又天狗の頭蓋骨は25年ほど前、明光寺が火災にあい残念ながら焼失しています。烏天狗の骨はこの気良地区でも山の神として崇められていたのかもしれません。また烏帽子岳と言う名も山が烏帽子の型とかではなく何となく烏帽子帽を被った天狗がイメージされます。
DSC_0720
『光明寺 天狗の頭蓋骨(焼失) 写真は郡上郡郷土誌』
烏帽子という山名は全国にも有るようですが、そこに天狗伝承もあるのか気になるところです。
また郡上地域は白山や高賀山などの山岳信仰が盛んで、春や秋に各所で神楽等のお祭りが行われます山岳信仰には修験道があり、この修験道、修験者は鉱山開拓とも深く関わりがあると言うお話があります。
もしかしたら烏帽子岳にいたとされる烏天狗とは山岳信仰を持ちながら高い技術を持った鉱山開拓者の方々だったかもしれません。
また、白山信仰と言えば、白山を開山した泰澄大師伝説が郡上にも数多くあり、明宝地域にも伝承を残しております、伝説では『二間手から気良へ3キロ程飛んで岩に足跡がついた』とされる伝があるようです(郡上郡郷土誌)また、同じく、空海(弘法大師)?が足跡を付けたとされる岩も残っています。
(写真は寒水地区)石碑には弘法大師とされています。
DSC_0739
『寒水の蛇岩 右が蛇伝説の岩、左が観音菩薩堂と、大師の足跡岩』
この気良へ3キロ飛んだという伝承からも、烏天狗伝承との繋がりも感じられます。
hakusankanomizu_n
『掛踊りが有名な寒水(かのみず)白山神社』
この気良の泰澄大師伝説は郡上八幡城麓の岸剣神社とも関わりがあります、以前岸剣神社は八幡町、吉田川(宮ケ瀬橋)のほとりに鎮座してました、この神社の由来は『その昔、郡上の気良はひどい旱魃に見舞われる。この地の神社の神主は雨乞いを行なったが効果はなかった。そこで宝剣を気良川の河原の岩で洗って雨乞いを行なうと、すぐさま雨が降ってきたという。しかし豪雨となり、岩の上の宝剣は大水で流されてしまった。それから数日後、城下の吉田川の岩に宝剣が引っかかっているのを住民が見つけ。この知らせを受けた城主遠藤慶隆が、この宝剣を祀るため創建したのが岸剣神社の始まり』という事でここでも明宝気良が関わっています、又この宝剣は泰澄大師が白山を開山する際、時の天皇より賜わった宝剣で後に気良の住民により鳥居宮社にご神体として祀られたとされています、現在は社殿は白山神社として二間手に移築され、宝剣のご神体を祀っていたという鳥居宮跡の大岩が気良に残っています。
DSC_0740
『泰澄大師の宝剣を置き祀ったとされる大岩、登ると大雨になるという伝承も。 鳥居宮跡 気良』
古代、金属の『鋼』の事をケラと言ったそうですが→(日立金属株式会社Webサイト
泰澄大師と山岳信仰、烏天狗、修験道と鉱山開拓、鉱脈と関わりがあるとすれば、もしかしたら明宝気良(ケラ)の名は鋼(ケラ)の由来も含まれてるのかもしれません!?
また八幡の小駄良筋にある川は昔(太良川)タラカワとも呼ばれていたらしく、もしかしたら(タタラ)場が由来なのかもしれませんタタラ場にとって川(水脈)も重要です。他にも郡上には火を神様とする、秋葉大権現のお寺もあり、この秋葉大権現も山岳信仰由来だそうですが、やはり金属製品を作り出す為に火は欠かせません。

もう一つ天狗にまつわるお話では、高知県土佐に伝わる土佐典具帖紙(とさてんぐじょうし)楮(こうぞ)和紙の一種で、極めて薄いうえ、強くて丈夫な特徴を持つ紙があるそうです→(文化遺産オンラインWebサイト
ルーツは鎌倉・室町時代に美濃国(現在の岐阜県)で漉(す)かれていた 典具帖(天宮上、天狗状、天郡上などともいう)の技術で、この紙漉き技術も郡上から伝わったという事ですが、現在郡上ではこの技術は残ってないようです、この紙もまた天狗と名の付くことから、郡上に存在した天狗と伝わる人々の技術だったかも知れません。

話はそれますが郡上と土佐と言うと、やはり遠藤慶隆の妹の千代(見性院)と山内一豊公が連想されます、千代と明宝気良との関係としては先にも記載しました、気良の地に落ち延びた教如上人と千代が面会したという伝承もあるようです。
地域の伝説には諸説あると思いますが、郡上八幡の岸剣神社や小駄良から、烏帽子岳、明宝の烏天狗、山岳信仰、鉱山、白山神社、泰澄大師伝説、等々深い繋がりが魅力的です。
今年は『白山開山1300年』の年でもあり、郡上観光白山神社パワースポットめぐりも良いかと思います。