両面宿儺(りょうめんすくな)は仁徳天皇の時代に飛騨に現れたとされる二面と4本手の異形の鬼神とされており、主に飛騨地方にその痕跡が残っているようです。後に武振熊命に討伐されますが、龍退治や寺院の開基となった豪族であるとの伝説もあるようです。この両面宿儺を郡上とゆかりの深い円空も彫像として残しています。
その両面宿儺が開祖とされる、関市下之保の高澤観音日龍峯寺を訪ねてみました。
(写真協力 K氏/T氏)
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『高澤観音日龍峯寺 登口仁王門』
場所は以前、岐阜県武儀郡の平成「へなり」として有名で津保谷(津保川)の最下流にあたる場所です、現在は関市となり岐阜県関市下之保になっています。
 武儀郡の名は現在消滅してますが、古代武儀郡とは美濃国の広大な地域で平安時代に二分立して武儀と郡上になったとされています。
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『高澤観音日龍峯寺御本堂 岐阜県指定重要文化財』
この寺院は岐阜県下最古の寺で、大日山日龍峯寺と称し美濃西国三十三ヶ所第一番札所の観音霊場にもなっています。高澤観音と云い、ご本尊は千手観音菩薩です商売繁盛、家内安全、安産、子授けなどで有名な寺院です。別名『美濃の清水寺』とも称され「懸造(かけづくり)」の構造で、まさに崇高明媚なお寺です。
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『千本桧 関市指定重要文化財』
御本堂手前の中央広場には、両面宿儺が登山の折枝として使用した桧枝が千本の枝葉群立したと伝わるおよそ20メートルの『千本桧』が霊木として立っています。
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『本堂裏 両面宿儺殿』
本堂は岩壁に面して建立されており本堂裏側には、みたらしの霊水と言われる万病に効くと云われる名水が湧き出しています。その霊水の岩壁に向かって両面宿儺像が鎮座しているようですが、扉が閉ざされており残念ながら本像を拝見することは出来ませんでした。
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『御本堂裏手 万病に効くと云う、みたらしの霊水』
またこのお寺は標高500メートル級の山上寺院で、応仁の乱の戦火で焼かれ現在の建物は江戸時代の再建らしいのですが、鎌倉時代の源頼朝の妻で有名な北条政子が夢のお告げでこの寺院の夢を見て、供養すると飢餓を免れた為、その謝礼として再興されたと伝わっています。
その北条政子が寄進した一部の多宝塔が今も現存しており国の重要文化財に指定されています。
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『尼将軍北条政子建立の多宝塔 国指定重要文化財』
山中に国宝が残るこの下之保地域から、中之保、上之保と北方へ抜けると郡上市や下呂市へと繋がります、美濃土岐氏や郡上東氏の室町時代にも荘園としてこの北方の広大な地域を治められていたようですが、そこを通る重要な山岳街道です。その中間の地域でもある郡上和良町には念興寺の「鬼の首」、戸隠神社の「重ね岩」、「蛇穴」など不思議な史跡や伝承もあり自然豊かで魅力的な町です。
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『郡上市和良町 戸隠神社 重ね岩』
 古代飛騨地方の豪族、王族とも伝わる両面宿儺が飛騨、下呂から武儀方面までも勢力を誇っていたとしたら、その中間でもある郡上和良町辺りにも両面宿儺に関する痕跡が何処かに残っているかも知れませんね。