郡上市には和歌の文化、東常縁(現郡上市大和町付近を領し城を築いた武将)
から大和町妙見神社にて宗祇
に伝えられ以降相伝されて行った古今伝授のお話があります。
現在では古今伝授の里という名でも広く知られる大和町ですが、その地域の深い山中に位置する古いお寺にお伺いしました。その名は西念寺。
西念寺の歴史は古く、現在は浄土宗本願寺派のお寺ですが元々は(1172年頃白鳥町長滝寺)の流れで天台宗でしたが1469年頃に蓮如上人に帰依して浄土真宗に改宗したというお寺です。
文化財に指定されている鐘堂(太鼓堂)の素晴らしい佇まいが特徴的なお寺です。
西念寺本堂03m
本堂彫刻09m
【西念寺本堂正面 麒麟の彫刻】


鐘堂・太鼓堂03m
【市指定文化財の鐘堂(太鼓堂)】
西念寺文化財案内m
【文化財概要看板】

西念寺にある数多くの文化財の中でも、自身目を引いたのは戦国時代の火縄銃でした。
何気に写っていますが・・この火縄銃、戦国最強の鉄砲軍団とされた雑賀衆雑賀党鈴木一族が使ったとされる火縄銃なのです!!
郡上の戦国時代の歴中で鉄砲と言うと、郡上東氏滅亡の引き金にもなったお話に東常縁の末裔、東常堯が家臣の遠藤胤縁(初代八幡城主遠藤盛数の兄)を現八幡町の東殿山城を訪問した際、家臣に命じて鉄砲で射殺(実は日本初の鉄砲狙撃事件??)したという伝説がありますが。。
火縄銃12m
【西念寺に伝わる雑賀衆火縄銃】
八咫烏06m
【火縄銃砲身に装飾されている八咫烏紋】

西念寺にはしっかりと雑賀党鈴木一族旗印の八咫烏紋章が刻まれている火縄銃が現存していました。
経緯としては『本願寺VS織田信長との争いで本願寺側について支援していた雑賀党の鈴木一族が本願寺が敗れた際、追討ちを避けるため加賀に移ったが、信長家臣の柴田勝家に攻められた為、越前や美濃の山奥に隠れ住み、その一派の鈴木源右衛門幸行がこの大和町の西念寺に出家して住職となった。』とのお話でした。
本堂天井_n
【本堂内陣 天井の重厚な家紋装飾】

郡上市明宝には同じく石山合戦で敗れた本願寺教如が逃れ、隠れ住んだ伝説もあります。
社寺も多く信仰心が強い地域でもありますので、力のある寺院などで容易に庇護も受けられた事も推測できます。隠れた歴史とその時々の人々の繋がりなど様々な事を思い巡らせた一時でした。

ご興味ある方は必ず予約なされてから訪問されると良いかと思います。